















2022年2月24日に始まった、ロシアによるウクライナへの全面侵攻。
終わりの見えない惨劇が続く中、昨日、渋谷ハチ公前で行われた抗議集会に参加してきました。
そこで配られていた一枚のチラシと、一人の「ウチナーンチュ(沖縄の人)」としての視点から、この戦争の悲惨さと、私たちが知っておかなければならない理不尽な現実についてお伝えします。
「3日」で終わるはずだった戦争と、続く恐怖
ロシアが当初「3日で制圧する」と豪語した軍事侵略は、国を守ろうとするウクライナの人々の必死の抵抗により、泥沼の長期戦へと変貌しました。
集会で配られたチラシには、『三日間の戦争』は、四年目に入った。恐怖は続く。抵抗は終わらない。という重い言葉が記されていました。
この戦争は、ある日突然起きたものではありません。
2014年のクリミア半島併合など、過去にロシアが行った暴挙を国際社会が止められなかった結果が、今の巨大な悲劇へとつながっているのです。
戦場だけではない。市民の日常を奪う「犯罪」
戦争と聞くと、軍隊同士の激しい戦いを思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、ウクライナで起きている現実は、一般市民の平穏な生活への一方的な破壊活動です。
病院や学校、住宅地などへの無差別な攻撃が繰り返され、数え切れないほどの尊い命が失われています。
さらに信じがたいことに、何千人ものウクライナの子どもたちがロシア側へと強制的に連れ去られています。
また、文化財や博物館も意図的に破壊され、ウクライナという国の文化や歴史そのものを消し去ろうとする動きすらあります。
最も残酷なのは、冬を武器にするという非人道的な戦略です。
つい先日、2026年2月初旬にも大規模なドローンやミサイル攻撃があり、首都キーウの電力網が破壊されました。
マイナス20度にもなる極寒の中、暖房も使えず凍てつく闇に包まれ、凍死による犠牲者まで出ています。
これは決して、軍事施設の攻撃に巻き込まれた「事故」ではありません。
国家の機能を凍らせ、社会を疲弊させることで、無理やりロシアの要求を飲ませようとする、計算し尽くされた残虐な行為なのです。
ロシアが口にする「和平」の恐ろしい正体
「早く戦争を終わらせて、平和になればいいのに」。世界中の誰もがそう願っています。
しかし、ロシアが現在求めている「和平」は、私たちが想像する平和とは全く異なります。
彼らが提示する条件は、ウクライナが自国の領土を諦め、軍隊を縮小し、ロシアの言いなりになる政権を受け入れることです。それは「平和」ではなく、単なる「降伏」であり「占領」です。
たとえミサイルが飛んでこなくなったとしても、自由や主権が奪われ、見えない銃口を突きつけられ続ける日々を、平和と呼ぶことは絶対にできません。
沖縄の記憶と重なる、暴力による支配
今回、私がこの集会に参加したのは、一人の「ウチナーンチュ」としての強い危機感からです。
無抵抗の市民への虐殺、性暴力、そして子どもたちの連れ去り。
今、ウクライナの人々が直面している地獄のような苦痛は、かつて沖縄戦やアメリカ統治時代で県民が経験した、あるいはそれ以上の惨劇と痛々しく重なって見えます。
圧倒的な暴力によって人々の生活を蹂躙し、力ずくで自分たちの都合の良いように国境線を変えようとするロシアの行為は、到底許されるものではありません。
私は、このような暴力による支配や現状変更を試みるすべての動きに、断固として反対します。
これは「遠い国の問題」ではない
ウクライナでの出来事は、決して遠いヨーロッパの「対岸の火事」ではありません。
もしここで、暴力による他国の侵略が「やったもの勝ち」として容認されてしまえば、それは国際社会の新たなルールとなってしまいます。
私たちの日本も含めた、自由で民主的な世界に対する直接的な脅威なのです。
私たちは、ただロシアが侵略をやめるのを待っているわけにはいきません。
これ以上の犠牲を出さないために、行動を起こさなければなりません。
チラシの最後には、私たちが求めるべき3つの訴えが記されていました。
- ロシアの戦争を続ける力を削ぐため、より強力な制裁を求めること。
- ウクライナの人々の命と生活インフラを守るため、防空システムの支援を訴えること。
- すべての領土が解放されるまで、ウクライナとともに立ち続けること。
「ウクライナの勝利は、自由の勝利である」
この言葉の重みを噛み締め、暴力による支配を絶対に許さないという姿勢を、私たち一人ひとりが持ち続けることが今、何よりも求められています。
(文・写真/来間祐一郎)
